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並木座

 一番最初に“ボギー&クライド ”を観たのは並木座だった。わたすがハタチの頃は並木座も時たま洋画を上映していた。いつの間にか邦画専門になったが・・・。
 何度あの狭い階段を下りた事だろう?
 職場が銀座界隈だったので同僚のデザイナーの山○さんが仕事が暇な時に並木座によくお出掛けしていた。彼は4〜5時間席を空けている時は殆ど並木座に行っていたのでないかと思われる。並木座は2本立てだったから。
 銀座という街はデザイナーにとって最高の立地だった。それを吸収するかしないかはデザイナー次第なのだが映画など見てる場合ではないのだ。
 並木座が消えてから既に15年ほど経つ。

 ↑これを撮った人はワザと白黒で撮影したのだろうか? これは歴史を証明する写真? 右横の茶店の前の三州屋の看板は今のと同じだ。 
 
 しかし当時、銀座の街並みはあまり変わらない街だった。最近の変わり様にはたまげる。当時、海外ブランド店など一店も無かった。
 わたすが銀座を離れた頃から変わり始めた。プラダ、ヴィトン、カルチェ、コーチ etc.・・・ 銀座に店のないブランドは無いだろう。
 
 銀座並木座の直ぐ近くに大衆酒場の「三州屋」があった。古い二階建ての建物なのだが そこは今でも存在する。かなり路地の奥まった所なので開発が無理だったから残ったのかも知れない。
 今でも、たまーにお昼を食べに行ったり、仲間との飲み会に使う事がある。値段が安く味もEー。安いのはボロ屋の所為だろう。
 なりより昼間から酒を気兼ね無しに飲む事が出来るのだ。酒は何処の店だって昼間でも頼めば飲めるが「三州屋」は本格的に飲めるのだ。
 流石にごった返すお昼には注文するのは遠慮するが・・・12時から宴を開いた事もある。
 2時を過ぎて入ると「酒か食事か」を必ず聞いてくる ─── その時間帯は殆ど「両方」と答える人が多い。だからこの店は客が途絶えるという事は無い。
 こういう昼間っからメシも酒も気兼ねせず注文出来る店は少ない。
 
 厨房の外で働く配膳のオバさん達は今でもあまり変わらない。彼女達は客の事を「お兄さん」と呼ぶ。「オニーさん、ご飯は一緒でいいの?」という風に。
 客は母ぐらいの年配の人から「オニーさん」と呼ばれるのだ。昔は年上ばっかりだったのでそう呼んでいたのだろうが、いつの間にか同じぐらいになり、そしてはるかに客の歳を越えていったのだろうか?
 
 2時過ぎにはサラリーマンのピークが過ぎるが、それから遅昼をとる人達が軽く一杯はじめたり、リタイヤグループの宴会が始まる。リタイヤ組は夜始めるより昼過ぎに始めるのが好いのだ。夕方、込む前にお開きにするのだろう。
 
「三州屋」は何軒もあるが二丁目店しか知らない。一丁目店は最初に勤めた会社の正面にあったが一度も入ることはなかった。
 その最初に勤めた会社で5時になると仕事を中断して向かいの店に行って一杯引っかけてきて戻りまた仕事を始めるという伝説の人が居たらしい。わたすは残念ながら次期ズレで会えなかった。