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希望という名の力

 わたすが受け入れられない言葉に「精神力」というのがある。「物資の不足は精神力で補え」などと昔、帝国軍は使ったのであろうが・・。
 今でも体育会系は「精神力」という言葉を使うのかは知らない。高校生の時、道場に「精神力」という横断幕があったが今でも貼られているかは知らない。
 世の中「精神力」ではどうにもならない事があるのは小学生でも解る。「根性」の方が笑えるからまだマシだ。
 沢登りをしていた20代後半か30代頃、ある沢で確信した事がある・・・。
 沢登りはほとんど、沢を登り終えるとヤブこぎになる。ヤブこぎとは道なき道を登っていく事なのだ。その沢も登り終えて源流近くから約20分ぐらいでトレースのある登山道に出られる予定であった。だから私は沢の水を水筒に1/3ぐらいしか入れなかった。相棒は直ぐ着くと思ったのか水筒に一滴も水を入れなかった。甘かった。完全にミスった。
 ヤブをこぎ出して直ぐ足跡が途絶え完全なヤブこぎになった。急斜面を熊笹を掴みながらよじ登るので体力がモーレツに奪われる。水を半分相棒のY氏に分けたので直ぐに水が無くなった。非常食のチョコやキャラメル等の食料も直ぐ尽きた。20分で終わる所が2時間経っても出られない。「ヤバイ」
 その時、相棒を心の中で恨んだ。なぜ水を入れなかったのか、おまけに先に行かせたから僅かなトレースを見失ってしまったではないかと疑心が募る。
口には出さないがかなり頭に来ていた。
 人間は水も食料も無くなると体が動かなくなる。それでも前に進まなければならず、斜面を踏み出す。とにかく5歩進もうと心に決めて5歩進む。そこでバタッと倒れる。暫くそのまま動けない。もう一度5歩進み、また倒れる。倒れている時間の方が長くなる。そのうち3歩ずつになり、2歩になる。2歩進み1分ほど倒れている。いくら「精神力」だと言っても躰が動かない。
 体力が切れると気力も切れる、体力=精神力なのだと確信した。
 でも我々には一つ確信があった。とにかく上に行けば登山道にたどり着くという事だ。地図を見れば一目瞭然だった。とにかくこんな所で夜を明かせない、前日だってビバークしたばかりだ。一歩一歩登るしかない。夕暮れが迫りつつあった。
 ヤブこぎを始めて3時間ぐらいだろうか、草むらにボンカレーの空袋が落ちていた。「登山道が近くにある」・・いきなり希望が見えた思いだった。ゴミを見て希望が出たのは初めてだ。希望が見えると人間は体が動き出す。稜線まで直ぐそこだと解った途端、さっきまで死んでいたのに急に体が動き出した。稜線に出ると直ぐ山小屋があった。その山小屋でカレーライスを食べ、生き返った。
その時「精神力=体力」であり「希望=力」だということを実感した。奥秩父の水晶沢だった。

この写真は水晶沢では無く、その後に行った豆焼沢。相棒もY氏ではなくてT氏。水晶沢にはカメラは持って行か無かったのか、全く余裕が無かったのか写真は残っていない。