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目に青葉 山ほととぎす 初鰹

と言えば今の季節だが今、鰹の生は2月頃から出ている。

季節感が変わってしまったのだろうか?

オラんちはカツオが上がる土地だった。

 

20以上、年の違う従兄弟が大阪から戻った昼下がり、その従兄弟が鰹の刺身と

キュウリを猛烈な勢いで美味しそうにパクついていた。

その従兄弟が大阪で働いていて戻って来た時に毎回、浜に釣りに行っていた。

ある日、その従兄弟が釣りに行って鰹を釣ってきた。

と思ったが “ぼうず ”なので近くの漁港か漁師から鰹を買ってきたのだった。

家の近くの磯では鰹は釣ろうと思っても釣れない。

中々ユーモアも持っている従兄弟だった。

 

それを見たわたすは直ぐ自分家に帰って母に「鰹とキュウリが無いか」と聞いた

さっき昼ご飯を食べたばかりなのに・・・。

キュウリしか無かったが、わたすもパクパク食べた経験が有る。従兄弟が

おいしそうに食べるのを見て食べたくなったのだ。

食欲旺盛な人が近くにいればオラもきっとよく食べる子になっていただろう。

ま、家には小食な人ばかりだから・・・祖母など少しのご飯をお代わりする時

高台(茶碗の下の部)に乗る程度と言っていた。実際は高台とは言わず

別の独特な言い方をしていたが忘れた。

 

わたすもご飯を残すのを常にしていた。会社の同僚と昼飯を食べに行っても

女房にも、茶碗に一口残すのを見て「たったそれだけ何故食べれないの?」と

言われたものだ。

たったそれだけの一口を無理に食べると苦しくなる。腹一杯に成ると辛いのだ。

 

 

子供の頃、わたすは食が細い方だった。と言うか一日三度三度、食べる食事が

イヤでイヤで仕方無かった。空腹感が無いのに食べさせられるのは辛かった。

小学生5年頃までは空腹感は経験無かった。

当時から消化器が丈夫ではなかったのだろう・・・。

 

なので今でも下の子が小さい頃、食べないのを見てもあまり攻められなかった。

無理に食べさせると口から全て吐き出してしまうからだ。

妻は悩んでいたがわたすは遺伝だと思い「仕方無いな」としか思わなかった。

なんたってわたすの幼い頃、幼稚園で昼寝の経験が無かったのだ。

わたすだけ弁当を殆ど食べられなくて昼寝の時間まで掛かって先生達に食べさせ

られていた。園長先生にも食べさせて貰った。

 

何故、他の子の様に食べられないのか?と自分でも気がついていた。

その代わりおやつは大好きだったが・・・

10時と3時のおやつは生きる望みだった。オーバーではなく事実だ。

その所為で他の子より虫歯が多かった。もう少し歯磨きを一生懸命やるべきだった。

母も父も虫歯が無かったのに・・・

「歯医者に通うほど無駄な時間は無いな」とよく思った物だ。