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重すぎた重鎮

↑今朝の朝日の記事は的を得ていて中々面白い・・・。
一部では森元がこの件に関して自分の意見を「あれや、これや」とでしゃばり、
あの様な結果になったと言われていたが、事実らしい。
もう、競技場の件といいこの老害は退任してもらうしか無いが、今日も
テレビの五輪関連のニュースに出ている。誰も引導を渡せないのだろう。
 
エンブレム審査委員会の8人は全くの飾りに過ぎなかったと言うことだ。
永井一正など完全に蚊帳の外だったのだ。
「君たちはいてもいなくても関係無い」的な存在だったのである。
「エンブレムを決定するのは組織委員会の最高責任者である」と言うことだ。
その事が分かっても審査委員に居残り続けるというのが理解できない。
一人だけ最終案は承認できないと言った人がいたが、同時に抗議の辞任を
すべきだった。
もっともムラの中の人だから後々遺恨を残すような事は出来ないだろうが・・・。
 
この経緯を最初から把握していたのはマークの審査委員で組織委員会
クリエイティブデレクターという立場の高崎という電通の社員だという。
この男が審査委員会を飛び越して組織委員会とやりとりしていたと言うのである。
「長いものには巻かれろ」「クライアントは神様です」「強いものにはひれ伏す」
という広告界の作法が感じ取れる。
 
↓ま、初期の佐野案を選んだ事で審査委員会の脳無し度が分かるとゆう物だが。

太陽が下にあるのはおかしいと言ったらしい。
その事が原因で修正され、リエージュからクレームが来て白紙撤回された
事で、佐野案が歴史に残らなかった事は喜ばしい。
永久に残るのは日本人として恥ずい。
 
佐野以外の残り103名の作品を見てみたい物だ。
てゆーか、そこから選び直すのが筋ちゅうもんだろう。
 
“重すぎた重鎮”と言うのは記事ではハッキリ名指ししていないが森元と
いう事は誰が考えても明らかである。
あのエンブレムがもし通っていれば「あのマークはオレが決めたようなモノだ」
と自慢しまくっていた事だろう。