草原の道を自転車やバイクで走る時に聴く音楽はエンヤの歌がピッタリくる。
特にBook of Daysが一番フィットし、翼を拡げ飛んでいる様な気持ちになる。
誰もいない海岸の岩場にたたずむ時にはキース・ジャレットのケルンコンサートPart 1が心に染みいる・・・。
その事をある時、会社の女の子に話すと彼女が沖縄の海に行く際、ケルンコンサートのカセットテープを貸して欲しいと言ってきたので貸してあげた。
果たしてその曲が沖縄の海に合ったかどうか知らないし確かめもしなかった。
ナゼか、根拠のない私の言葉を信じる者も少なからずいた。自然を感じたり音楽を感じるのは論理ではなく感覚なのだ。
ナンの論理性のない言葉によって相手の感受性を傷つけた事もあったかも知れない ── と今になって思う事もある。
異端の言葉を聞くのも時には為になる場合もあるノだ。
わたすの言葉が妙に説得力が有ると言った人は論理でなく感覚的な事を感じたのだろう。
時には、ある場所に立つと音楽があった方がEー場合もある。襟裳岬で森進一の“襟裳岬”がスピーカーで流されるのは勘弁して貰いたいが・・・。
誰も居ない場所でその場に合った曲をイヤホンで聴くのも悪くない。部屋で同じ音楽を聴くのと、また違った感覚で感激が倍増する場合もある。
映画でBGMが流れるのと同じなのだ。
誰も居ない山の頂上はどんな曲が合うだろう?
時には感激するための演出も必要なのである。