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走馬燈

 人間、死の瞬間、それまでの人生が走馬燈のように甦ると言うが、死んだ人が言った訳では無い。死人は喋れないから。死にそうになった人が言っているのだ。
 同じような経験がある。「もうこれまでか」と思った一瞬がある。春先に奥多摩にツーリングに行った時、奥多摩から山梨に抜ける柳沢峠を走っている時、陽の当たらない箇所が部分的に凍結していた。
 前の方から対向車が来たのでスピードを落とそうとブレーキをちょこっと踏んだ瞬間、スリップダウンした。バイクが倒れ自分も一緒にヘッドスライディングのように滑っていく。前方から車が迫ってきている。「もはやこれまで」と覚悟して一瞬目を閉じた時、今まで体験した過去の出来事が頭をよぎったのである。
 子供の頃からその時までの思い出がグルグルと頭の中を廻った。脳が人生を振り返った様な気がした。ほんの数秒足らずである。脳がそのように記憶を甦えらすよう予め、遺伝子に組み込まれているのだろうか? 目を開けると現実に戻り、車のタイヤが目の前20センチの所で止まっていた。ハッキリとタイヤの溝が見えていた。
 
 『助かった〜』ふつうは気が抜けて放心状態になるはずなのに・・・何を思ったか、直ぐ起ち上がり必死にバイクを起こそうとしていた。ドライバーも出てきてバイクを起こすのを手伝ってくれた。よっぽど頭がパニクっていたのだろう自分の状態も確認しないでバイクを起こそうとしたのだから。冬だから大した怪我もしなかった。「大丈夫ですか?」「はい」と言う短い会話を交わして別れたのだが。
 何故、冬だと大した怪我をしないのかと言うと着ぶくれしているから裂傷キズはあまりしないのである。夏、薄着で転倒すれば大怪我をする。
 車のドライバーの方もE−迷惑だ。私が車の下に消えたのだから・・・。万が一、轢いてしまっては刑務所に入る羽目になったかも知れない・・・。30年ほど前の事である。
 
 走馬燈は子供の頃、家にも在り梁に掛けられロウソクで回転していたのだが、ある風の強い日に傾いて燃えてしまった。走馬燈は火事の原因の一つであったので以来、我が家では手に入れる事は二度と無かった。子供ごころに案外好きだったのだけど・・・今のは提灯と同じで電池式で風情があったモノでは無い。