ホームページ http://mamo-007.sakura.ne.jp

人工呼吸器

 父が入院して1年以上経った時の事である。医者が「そろそろ、人工呼吸器を外す事も選択肢の一つになってきたから、充分 家族で考えておいて欲しい」と言ってきた。そもそも父は大腸ガンが発見された時、切除手術をすれば2週間で退院出来る程の簡単な手術だと言われたから手術をする事にしたのである。
 
 外科手術は上手く行ったがMRSAによる院内感染で肺炎になってしまったのだ。年寄りがひと月以上入院すると歩けなくなる。寝たきりになるのだ。
 家族はいつかは退院出来ると信じていたが一向に回復しないので、その望みすら薄らえてきていた。意識もハッキリしなくなり、私が自分の子供だと言う事も認識しているのかも定かで無くなってきた。
 
 母に医者の言った言葉を何時、切り出すかを言いあぐねていた。「人工呼吸器を外す」という事は直接ではないが死を意味する事だから・・・とても言い出せなかった。弟もこの生命維持装置を外すか外さないか母に話せずにいたらしい。
 その後、しばらく経ってから何気に母が独り言のように「お父ちゃんには、どんな状態であっても一分、一秒でもいいから永く生きていてもらいたい」というような事を口にした。
 その瞬間、私は心底、自分の口から母に「人工呼吸器を外すか 外さないかという様な事を切り出さなくて良かった」と思った。もしそのような事を話すと母はどんなに悲しんだかと想像できた。仮に話したとしても母は当然拒否しただろう・・。
 
 結局父は呼吸器を外さずに一年半もの間 入院する事になり、生きて家に戻れなかった。自分で自転車に乗って手術を受けに病院に行ったのにである・・。
年寄りには手術は無理なのだとつくづく思った。
 
 病院の所為で肺炎になったのに病院は一切責任を明確にしないで入院費用を満額請求してきた。今後、紀南病院には死んでも入院しないぞと思った。もっとも田舎に返った場合の事だが・・。
 その父も来年、13回忌だし、母も7回忌を迎える。