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’70 ミュージック

 YouTubeで70年代の音楽を見ていると次から次へとチェックしまくり、気がつけば深夜になっていることがある。青春時代の音楽が容易に聴けるのは、それなりに良い時代なのかも知れない。
  YouTubeで70年代音楽のコメントは結構、今の人がコメントを付けている。「70年代に青春時代を送りたかった」と言うようなコメントが付く。あの時代の歌は今も昔も若者の琴線に触れるものが有るのだろう。
AKB-48やEXILE 等のような音楽しかない今の若者は可哀想なものだと思ったりする。
 かく言う、わたすは当時、70年ポップスやフォークソングにはあまり興味はなかったのだが・・当時はジャズ喫茶に入り浸っていた。

 子供がまだ小学生の頃、学童保育の先生がフォーク世代の末席ぐらいの人だったので「翼をください」「あの素晴らしい愛をもう一度」などを覚えてきていた。
 わたすの二十代の時分 フォークソングのような しみったれた4畳半ミュージックは苦手だったので、さほど聴かなかったのだが、今 反動で70〜80年代ミュージックを聴くと「なかなか聴けるではないか」となる。

 70年代、青春まっ只中だった。当時の若者には、確かに 夢もあり希望もあり、熱く感じられた時代だったのだ。
 上京した時には闘争はすでに終わりを告げていたが「お茶の水駅」界隈は、たまに石ころが落ちていた。学生デモで道のレンガをはがし投石に使ったのだ。あの頃は最後の「熱い」時期で、それから一気に「しらけ時代」に移った。
 道に大きな石ころが落ちているのを見るのは子供の頃、大阪の親戚の家に行った時、釜が崎で労働者が暴動を起こし警察に投石した時以来だった。行った時は西成区一帯に拳ほどの石がゴロゴロしていた。

 「時代」も熱くなったり、冷めたりするのだろうが、その後 この国は熱くならなくなり冷めたままになってしまった。