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知床旅情

♪知床の岬にハマナスの咲く頃 想い出しておくれ俺たちのことを
飲んで騒いで丘に登れば はるかクナシリに白夜はあける
旅の情けか飲むほどにさまよい 浜に出てみれば・・
今宵こそ君を抱きしめんと岩陰によればピリカが笑う・・♪
 
↑この唄を聴いた時は一体、どんな人間が、どのような心境で作ったのか疑問だった。
知床を訪れた旅人が歌う詩でもなく、地元の人が歌う詩でもない。「ピリカ」ってなんだ?
 謎が解けたのはずいぶん経ってからだ。森繁が自身で作った映画『地の涯に生きるもの』の撮影で知床羅臼に長期滞在した際、その別れの慰労会で色々世話になった羅臼の人々の前で披露した歌なのだ。撮影の終えた夜、皆でワイワイガヤガヤしながら作ったと共演者は語っている。50年も昔の映画だ。
「そうだったのか」永い疑問が一辺に解決した時だった。
 知床旅情がヒットしたのはやはり加藤登紀子が歌ってからだろう。知床ブームが起きたのも登紀子さんのおかげだ。襟裳岬が有名になったのは森進一のおかげだったし。
 知床半島には二度行ったが二度とも快晴だった。知床は快晴になることは滅多に無いという。ある場所で出会った札幌在住のライダーは「知床に三度行ったが三度とも天気が駄目だった」と言っていた。

知床横断道路の最高地点 どや 日頃の行いや 天気がすべてや 
 

カムイワッカの湯滝 チョットしょっぱい
確か知床五湖から1時間ほどのダートを走り、そこからわらじを履いて20分ほど沢登りして辿り着く。当然ながら年寄りには無理だ。
今は自家用車では入れないと聞いたが、どうなんだろう?
 
霧の摩周湖」も、わたすが行った時は雲一つ無い晴天だった。快晴の摩周湖を見た人は「金持ちに成れない。出世しない」と言われる “迷信” があるが・・・その通りだった。
こんな日は年、何回あるだろうか?「快晴の摩周湖