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宗教

 無神論者のわたすが言うのも変な話だが、死んで無になるよりも極楽に行けると思う事の方が死を迎えるまで有意義に暮らせるのではないかと思うようになった。「死んだら極楽浄土に行ける」という事に疑いを持っていなかった祖母の方が精神が充実していたのは間違いない。 “無になる”というのは確かに虚しい気がする。
 宗教というのは心の安らぎのために存在するのだ。あり得ないが、寺の坊さんがもし無神論者であったら、どうなるのだろうと想像するのも面白い。
 
 かのアメリカでは“無神論者”が一番信頼がおけなく嫌われるらしい。ホモ、ゲイ、イスラム教徒よりも嫌われるらしく、大統領は無神論者では成れないという。
「おとぎ話」を信じないものは差別されるってことだ。

 そういえば進化論のダーウィンを描いた映画「クリエーション ダーウィンの幻想」が、アメリカでの上映を見送られたそうだ。神が人間を創ったと信じているキリスト教徒にとって“進化論”は受け入れがたい物なのは違いない。アメリカ人に生まれなくて良かったね。

 
 実家で世話になっている寺の坊さんが、海外に行った時に仲良くなった現地の人に宗教を訊かれるから、このように答えなさいと言っていたのを想い出す。「無神論者だ」と言うと相手にされないから「アイアム ブッディスト」と答えなさいと言っていた。「ブッディストとはどういう宗教か」と訊かれるから「肉体が終わってもたましいが極楽の阿弥陀と同じ所に・・」のような事を話すようにと言っていたが英語でどういう語りだったか忘れてしまった。今度、逢ったときに英語のスピーチを聞いておこう。