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 日曜日の朝日の文芸欄に“よみたい古典”でパスカルのパンセの事について書かれていた「神の存在を信ずる事に賭けて失うものは何も無い」と言う事なのだが、はたしてそうなのか?と疑問が・・。神の存在を信ずると言う事は無神論者にとってはそれなりにしんどい事ではないのか?と思ったりする。
 極楽浄土を信じていた祖母は毎日欠かさずお経をとなえていたし、一切、殺生をしなかった。信ずるという事はそれなりに時間も使う事なのだし、他の事柄を受け入れなく成るのかも知れない。祖母は信ずる事で十分に満足していただろうし、充実していたのだろうと思う。正に信ずる者は救われるのである。無神論者にとっては無駄な時間だと思えたりするのだが・・。
 その欄で「神を存在しない事に賭けて実際、神が存在しなかったら」といって得るものは何も無いと言う論理も有ると言っているが、果たしてそうなのだろうか? と疑問が・・「ウーン哲学やなあ〜」
 実際、生きる事に精一杯の人間に取って「あの世の事も神の存在なども考える余裕も無いわ」と言うのが本音であろうか。