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大人記念日-Ⅱ

初めて止まってくれた車がヤクザだったことは昔、書いた。
旅に出て初めて泊まったのは上田の駅の待合室だった事も以前に
書いた気がする。
翌日は目的のひとつ上高地に行ったが、あまりの人出にゲンナリした
のは今でも覚えている。
当時はマイカーで上高地に入れたが、着くまでズーっと渋滞だった。
さすがにヒッチは出来なくてバスで上高地入りしたのを覚えている。
イカー規制が施されたのは当然の成り行きだった。
 
帰り松本近辺のユースに泊まった。
初めて泊まったユースで食後のミーティングに参加した。
強制参加だったが・・・。
ユースのミーティングは人生で苦手な事の一番に来る。
小中学のレクレーションゲームだ。集団で行うゲームの様な物は苦手を
通り越しているのだ。
ボケーッと沈みゆく夕日を眺めている時が至福の時だと思う人間には、
とても付き合いきれない行事だった。あれが無ければもっとユースを
利用したかも知れない。
 
昼前、飛騨方面の田舎道を歩いていると素朴な蕎麦屋があったので
入ろうか、入るまいか迷いつつ、パスしてしまった。
その後、あまりにお腹がすいたので次のラーメン屋で食べたラーメンは
人生ワーストスリーに入るほど不味かった。半分以上、残して店を出た。
「さっきの蕎麦屋に入っとけば・・」と悔やんだモノだった。
人生、色々経験しなくてはベストな選択は出来ないモノだ。
看板で味が分かる様になるには年期がいる。
 
日本海に出た時は思った程、感動は無かった。
その後、バイクで行った時の方が感動した物だ。
ヒッチで助手席に座っている時は心に余裕が無かったのかも知れない。
「今日、泊まる場所はあるのだろうか?」と言うような一抹の不安が
心の片隅にあったのだろう。
 
もう、40年前の事だが当然、想い出されるシーンもおぼろげになっていて
僅かな想い出しか頭に浮かばない。
しかし、ヒッチハイクを続けるうちに、その後の人生に妙な自信が
ついたのも事実だ。
「世の中、何とかなるモンだ」と。