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“最後の日本兵”

三日前に “最後の日本兵小野田少尉が亡くなられた。
我々の世代はこの人が出現した時の事が鮮明に記憶に残っている。
戦後30年もフィリピン、ルバング島で一人で戦闘をしていたのだ。
この人がジャングルから出てきた時は世界中が驚いた。

すでに戦争は終わっていた事は小野田少尉本人も知っていた。
島民から盗んだラジオで知っていたと言う。
何故戦争が終わっても出てこなかったのかというと上官から
「最後の一人になっても戦い抜け」と命令されていたからだと本人は言う。
 
白旗上げて投降したその他の軍人は軍務違反なのか? 本心はどうなのか?
という疑問を当時から持っていた。
作家の野坂昭如が当時痛烈に小野田氏を批判していたのを記憶している。
 
小野田氏の手記『わがルバング島の30年戦争』のゴーストライター津田信氏は
その後、自書『幻想の英雄—小野田少尉との三ヵ月』で小野田を強く批判している。
“小野田は戦争の終結を承知しており残置任務など存在せず、29年間密林を
出なかったのは「片意地な性格」に加え「島民の復讐」をおそれたことが原因
である”と主張している。
 
小野田氏と仲間達は島民を30人近く殺傷しているのである。
『幻想の英雄─── 小野田少尉との三ヵ月』は今ネットで全文、只で読める。
真相なのであろう。
 
小野田氏が復員して直ぐブラジルに移住したのは周りに辟易したのだろう。
羽田に着いてタラップから下りると真っ先に政治家が顔を売るために
何人も挨拶に来る。
数メートル先に両親がいるのに・・・。
結局、両親と言葉を交わしたのは4〜50分経ってからだと言う。
その時の画像が残っているが「まるで漫画だなあ〜」
 
靖国神社に参拝させられたり皇居に参拝させられたり、小野田氏は
権力者達にうまく利用されたのだ。
彼も戦争犠牲者の一人なのだ。
でも仲間の戦友達と違い、島の警察に射殺されず帰って来れ、91歳まで
生きられたのはラッキーだった。