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屋上

昔、住んでいたアパートには屋上があり、住民は自由に使う事が出来た。
そこのアパートは7階建てで私は7階に住んでおり直ぐ上が屋上だった。
 
最上階は上階の人のドタドタする足音がしないのがEー。
しかし、夏は屋上から伝わる熱がすごく暑い。
夕方帰宅すると部屋はモーレツな暑さだった。
 
クーラーが効き出すのはかなり時間が掛かった。
そこで屋上に行き水を蒔くのだ。
屋上には家庭用の3〜4倍ほどの大きな蛇口が有ったから大量の水を
出す事が出来た。
消防車が使う水栓のようなサイズだった。
 
夏は 毎日、帰宅すると屋上に行き、一面に水を蒔いてから
部屋に戻った物だった。水を蒔くと言うより水浸しにする感じだった。
こうすれば早く部屋も涼しくなる。
 
この水栓のおかげで子供用のビニールプールもかなり大きいのを使っていた。

お休みの日は子供の保育園のお友達もこのプールに呼んで遊んだ。

 
屋上でビアパーティーもやった事がある。
テーブルと椅子とガスコンロまで運んでパーティーを始めたのだ。
直ぐ下が我が家なので電気コードとガスホースを窓から引いて来た。
これでどんな料理も出来た。
今ならガスホースなど引っ張らず、携帯コンロを使う所だろうが。
部屋から蛍光灯を取り外し、屋上にある物干し竿に引っかけて照明にした。
 
休日には屋上の鉄柵にハンモックを付けて、ビーチパラソルも設置し
昼寝が出来た。


そのまま外出して夕方、パラソルを片付けに行こうと屋上に出たら
パラソルが風で飛ばされて消えていた事もあった。
屋上の有る暮らしは都会では快適なモノだった。
 
当時、都心のマンションは高さ制限が掛かっており、高層マンションなど
周りには無かった。
富士山がちょこっと見え、新宿の高層ビルもバッチリ見えていた。
しかしマンションの高さ制限が無くなり、ドンドン高いマンションが
建ち始め、見晴らしが一気にダウンした。
 
いつの間にか周りに高いマンションが出来、富士山も新宿のビル群も
見えなくなり隅田川花火大会も見えなくなってしまった。
二人目の子供が出来て狭くなったため、そのアパートは引っ越した。

20年程前だが、今は屋上が自由に使える物件など先ず無いだろう。