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移住

 小学生の頃だ。父の同僚であったM先生という習字の先生が昼間、遊びに来た。父に向かって「おいT、アメリカに一緒にいこらよ。わしがアメリカで書道を教えるから、オマエは日本語を教えたらええ」てな事を話し始めたのだ。父は英語と国語の教師だったのだ。それを聞いたわたすは一瞬、浮き上った。「アメリカ移住か」と思ったものだった。父はもちろん笑い話だと聞き流した。
 今、考えるとM先生は、内心本気で言ったのだと思う。友人だった父に本音をうち明かしたのだと思う。残念ながら父は冒険をする人間ではなかった。おそらく、M先生も家族に相談したのかも知れない。奥さんに「おとうちゃん、アンタなにアホな事いうてんの・・」と一蹴されたのだろう。
 M先生は、地方の中学の習字の一教師では終わりたくなかったのだろうと想像出来る。個展をヤルにした所で地方では、高が知れている。書家として名を残したかったのだろう。芸術家として当然の話だ。
 
 当時の状況を考えるとアメリカに移り住むなど不可能に近かった。家族もある生活もある、年老いた母もいる、借金は無かったが・・。旅費さえ工面出来なかった事だろう。
 実家の表札はM先生が書いた字で今でも掛かっている。M先生は父の字を個性的で味があると褒めていた。父は体は細いのに太い字を書く人であった。残しておけば良かったと思う時がある。
 昔、実家に伯父から父に来た手紙を家を整理する際、捨てるのは惜しいと思い伯父の子供(私のいとこ)に送り返すと大変喜ばれたものだ。やはり、いとこ達も親の字を捨ててしまったのであろう。