ホームページ http://mamo-007.sakura.ne.jp

第二室戸台風

 大型台風が接近している。わたすの生まれ育った所は台風銀座だった。
 小学校3年の頃だ。観測史上最大の第二室戸台風が来て、紀州をかすめていった。そのモーレツさは樹齢何百年と言われる松林が大半、風で倒されたり波でもぎ倒された。
 当時の家は海まで50〜60mメートルぐらいで家の先は松林で堤防で海だった。家の前の松林のおかげで真夏でも扇風機など必要としなかった。海風が松林に当たり涼風を呼ぶのだ。配達を終えた郵便局員が我が家の前の松の木陰でいつも一休みしていた。
 台風の前日夕方から高波で時折、堤防を越えて海水が家の方まで流れてくる。家が流されるのではないかと恐怖を感じた。生まれて初めて自然災害に恐怖を覚えた時だった。幸い我が家は僅かに高台だったので海水の床下浸水で済んだ。近所の家はほとんど避難していたが、我家には足の悪い祖母がいたので避難はしなかった。
 明け方頃からモーレツな風が吹き荒れ、最接近した時は風で家が傾き始める。父と母が交代で玄関口の柱を全身で支える。強風で柱がたわむのだ。小学校3年生の出番はなかった。母がおにぎりを沢山作っていたが家族は朝から誰も口にしなかった。夕方頃、ピークが過ぎ風が弱まって来た頃、やっと喉を通り始めた。
 翌朝、台風一過の晴天とはこの日のことをいうのだろう。外に出ると景色が一変していた。海に近くの松が寝っころがっている。海岸に行くとコンクリの堤防が壊れ、海に近い旅館が波で倒壊して半分海に浸かっていた。
 屋根瓦が何枚か飛んでしまって それ以降、雨漏りがする度に父が屋根に登り修理する羽目になった。隣の家は池に金魚や鯉を飼っていたが見事に流されて一匹も残っていなかった。裏にミカン畑があったのだが海水が入って翌月から全て枯れた。夏ミカンの木がサルスベリの木になって朽ちていった。ミカン畑の持ち主はその後、栽培をしなくなって畑が広っぱになり我々の遊び場になった。
 この台風のせいで松林が半分になり涼風も半減したので翌年から我が家にも扇風機が登場した。
 今、接近している台風6号が空気中のセシウムストロンチウムなどを吹き飛ばしてくれないかと思うのだが・・。 コースは第二室戸台風と似ているが、関西から東海へ迷走して、また太平洋に戻るというチキン台風になってしまいそうだ。