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「ドシン、ゆらゆら」

外は暴風で台風並みだ。家にいても風の音が聞こえる。こんな予報は無かったはずだ。

今日2〜3行書いたらフリーズしてしまったのでそのまま強制終了した。

翌朝続きを書こうとしたが何を書いたのか全く覚えていない。

うちのマンションは強風が吹くとゴーゴーと家が轟き始めた時は何でこんな音が

出るのか解らなかった。

外の風と共鳴していたのだ。台風のような音だった。

 

南紀の実家は大波プラス高潮の時、波がドシンと来ると家がユラユラと揺れた。

親戚の人が偶々大波の時に泊まりに来ると恐ろしくて眠れなかったと言っていた。

わたすらは「ドシン、ゆらゆら」は子守唄代わりだった・・・

台風の時は暴風雨の音で「ドシン、ゆらゆら」は紛れる。

風のない夜の高波の時にだけ「ドシン、ゆらゆら」

と十数秒置きに来る。ま、初めての人には寝付くのは無理だっただろう。

数秒ごとに地震だモノ。

扇ヶ浜は普段殆ど波が無かったが大潮、高波が重なると波の高さが3メートル以上

の高さになる。扇型の砂浜は「ドシン、ゆらゆら」はEー条件かも知れない。

 

明治に建った家だし。よく第二室戸台風に耐えられたものだ。

その家はもう無い。立退きに合い、跡地は駅から海岸まで一直線のメインストリート

に成ってしまったのだ。

親らは立退き料を市から貰い移転先も充てがわられホッとした事だろう。

わたすは海の見える昔の家が良かったのだが・・・

 

「ドシン、ゆらゆら」の耐性の所為でわたすは地震に全く鈍感になってしまった。

しかし父は地震には敏感で昔東京に出張に来た際、偶々弱い地震に遭遇した時、

伯父の家で真っ先に窓を開け始めた。地震は苦手だったのだろう。

わたすの様に耐性が出来るのは子供だったからだろうと思えた。

父は戦争が始まる前、30歳頃に東京から南紀に移住した人だ。