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半沢直樹の伊勢志摩空港のモデル

半沢直樹に出てくる伊勢志摩空港のモデルが我が里の南紀白浜空港であると言う

事がネットで判明した。箕部幹事長のモデルが二階幹事長であることも判った。

汚染にまみれた故郷の空港かと思うと悲しいが、二階が作った空港では無い。

飛行路線で日本有数の赤字路線だ。

普段はガラガラで15分以内で乗降客が乗り降りする。

開港したのは1968年だから二階などいなかった。

当時はJALではなくて東亜国内航空だった。

プロペラ機のYS11機の振動が半端なかった。

やがて東亜国内航空日本エアシステムに名前が変わってJALに吸収された。

東亜やエアシステムまではサービスが良く航空運賃も安かった。

陸の孤島に飛行機が飛んだのは地元民にとって有難かった。

 

しかしこの夏、東京と南紀白浜空港は一日3便に成ったと聞く。

二階がJALに圧力を掛けたので逆らえなかったのだろう。

普段はガラガラで南紀観光ツアーが行われる日だけ満席に成り葬式の日に

乗れなかった事が有る。

 

昔はお盆と暮れと5月の連休の繁忙期だけ、一日3便だったが・・・

開港したときはマックス2便だった。そのうち大阪便と名古屋便が撤退して

しまった。

 

新幹線を使う南紀と東京間は辛い。紀勢本線で大阪まで出るのに3時間近く掛かった。

天王寺から新大阪まで電車で30分くらいだ。

当然、関空など存在しなかった。

一度飛行機を使うと、もう新幹線には戻れなくなる。