ペーパードリップが出る前はネルドリップだった。しかしネルドリップは手間が
掛かる。常に水に漬けて置く必要が有る。
乾かすとネルを煮出さなければならない。半世紀以上前、我が家もネルだったが
ペーパードリップが出来て直ぐそっちに替わった。
出た当時はペーパーの繋ぎがミシンで縫われていた。
貧乏だった我が家はそのペーパーを洗って2〜3度使用していた。
その後、ミシン目は無くなった。圧着されたのである。そうすると2度使えない。
洗うと分解されるのだ。
すると母が圧着された部分をミシンで縫い始めた。一度にミシンを掛ける。
一箱分にミシンを掛けてその後、ハサミで糸を切る。
何とシミッタレな事かと子供心に思った物だ。
当時田舎ではレギュラー珈琲を煎れる家はいなかった。
貧乏なのに父は趣向、好みは貫く。母は珈琲を飲むのを見たことが無い。
好きではなかったのだろう。
父の好みはブルーマウンテンだった。と言っても当時ブルマンは滅茶苦茶高い物では
無かった。精々普通の珈琲の2倍位だったはず・・・
確か一般的な珈琲豆が80円位でブルマンが200円位だったはず。
しかし当時ブラジルで大冷害が起こった。するとブラジル豆が入って来なく成り
その他の珈琲が倍以上に跳ね上がった。さすがに父はブルマンを諦めざるを
得なくなってしまった。
安月給では買えなくなったのである。
それから色んな珈琲を試していた。
わたすもお使いにお茶屋に行ったことが有る。お茶屋でコーヒー豆が売られていた。
当時スーパーにコーヒー豆は置かれていなかった。
「森川珈琲」に喫茶店以外の一般人がコーヒーを買いに来ることは無かったらしい。
同じ事を以前に書いたことを思い出した。