嵐が去って行った後、台風上陸した南紀に住む弟に電話したが繋がらない。
仕方なく携帯に電話したら繋がった。
家電が繋がらないのは「朝から停電しているから」との事だ。
半日も停電していて「クーラーも照明も使えない」と言っていた。
白浜町なのだが、白浜でもかなり田舎の方なのだ。
白浜の観光温泉街では真っ先に電気を復旧させたのだろうが・・・
窓を開けても台風後の湿った熱帯の空気なので気持ち良くなく眠れない
らしい。関電の対応に憤りを感じていた。
半日以上の停電なんて大災害じゃあるまいに・・・
大阪の大都会に台風直撃で色んな事が起こり当事者には悪いがテレビを
見ている分には面白かった。
小型タンカーが風に流され橋に激突の件は船長の危機管理力の無さが原因
だろう。流され始めた途端にエンジン全開で出なければならないのに。
津波と同じ様な対応をしなければ成らないのだ。
一体幾ら損害出したのだ・・・何百億?何千億?
あれは人的災害だと思う。
車が風で横転したのとは別次元だ。
昔、嵐の時ギリシャの貨物船が風と波を避けるため田辺湾に避難した際、
岩に座礁した事があった。小さな台風だったのだろう。
夜が明ければ湾では見たことが無い中型船が座礁していた。
湾内にある岩場などギリシャの貨物船の船長には分かる筈がない。
引き潮に成らなければ岩が出て来ないからだ。あれは不可抗力だった。
その船は一ヶ月ほど挫傷したままだった。
その時、2週間ほど船内で缶詰になっていた船員たちが、小型の船で降りて
きた。船員達は地元の高校生がグラウンドでサッカーの練習をしているのを
見て「ギリシャ」対「田辺高校サッカー部」との試合を申し込み、交渉の
後すぐ試合が始まった。
わたすはまだ小学生の頃だったと思う。
子供の頃の事件はいつまでも記憶に残る。
外人の船員らがフェンスの外からサッカー部の選手と交渉しているシーンは
覚えている。
出来たばかりのサッカー部はあまり対外試合など出来なかっただろうし、
ギリシャの船乗りたちも久しぶりに体を動かしたかったのだろう。
どっちが勝ったのかは知らないままだ。
当時サッカーに興味が無かったので試合を見なかった。