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珈琲

わたすの父が珈琲好きだった事は以前「カフェ・ロワイヤル」に書いた。
 
あのクソ田舎(南紀)で半世紀前、コーヒー豆を売っている所が一軒だけだった。
「森川珈琲店」と言う店で今でもある・・・ハズ。
そこの店に一般人がコーヒーを買いに来るのは殆どウチだけだったらしい。
わたすもお使いに行った経験が有る。
 
ある時、父がその店から試供品だと思うが電動コーヒーミルを只で
貰って来たのだ。
今もその海外製品の記憶が残っているが単純に上でグラインドする
タイプだった。

↑ 40~50年前の記憶に一番近いのをネットで見つけた。
Alexanderwerkと書いている。コレだったかも?
 
その時代、電動コーヒーミル等どこにも売られてはいなかった。
そのミルを手に入れてから実家のコーヒー購入は粉から豆に切り換わった。
小学校低学年だったと思う。子供の頃にコーヒーは殆ど飲まなかったが・・。
毎朝、豆を挽いた後に珈琲の香りが漂っていた。
 

↑30年程前に私が使っていたミルの同型 クルップス製。今は売っていない。
これは猛烈にウルサイ音がしたが臼挽き型なので均等に挽ける。
ネットで探すと写真が見つかった。
このミルはコーヒーを挽くとマズ味の成分である豆の中の薄皮が静電気で
フタに張り付いたのが良かったのだが・・・。
ミルは単純な構造なので滅多に壊れないが突然壊れ修理不能になったので
15年以上前、今のカリタにした。↓

 
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父のすぐ上の兄が父よりコーヒー飲みだった。
私が上京して1年一寸、その伯父の家に下宿していた。

オジは毎週, 日曜の朝、浅草へ早朝から開いている銭湯に電車で出掛ける。
その帰り、浅草の場外馬券場と松屋浅草のキャピタルコーヒーに寄って
必ず珈琲を買うのを習慣としていた。
オジの買うコーヒーは決まっていて、マンデリンとガテマラだった。
 
伯父からお奨めの銘柄を聞いた親父がマンデリンを試そうとしたが、
森川珈琲店ではマンデリンの扱いが無いため買えなかった。
私が帰省する度に父からリクエストが有り、その豆をよく買って帰った。
 
そのオジの家に下宿していた時はコーヒーシュガーという物は無くて
オジはその当時からコーヒーにはザラメを使っていた。
暫らくすると世の中にコーヒーシュガーなる物も出始めた。
 
今でも私はコーヒーに砂糖を使う時にはザラメを使っている。
こおり砂糖を細かく割って使っていた時期もあったが梅酒を造らなく
なったので こおり砂糖は買わなくなって調理用のザラメになった。
コーヒーシュガーとザラメの違いは今でもさほど判らない。