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あの晴れた夏の日

初めて旅に出たのは40年ほど前の夏、8月1日だったのは覚えている。
家族旅行や修学旅行は旅ではない。
 
大宮まで電車で行き、そこから17号線に出てヒッチハイクを始めた。
17号(中仙道)に出れば一気に信州に出られると考えたのだった。
目的は上高地日本海だったと言う事を去年 “ 旅のはじまり” に書いた。
流石に東京からヒッチハイクはする気にはならなかった。
 
あの日は朝から青い空だった。あの時代と比べ排気ガスはクリーンに
なったハズなのに この夏、東京は青空が出ない。
スモッグが上空まで立ちのぼっている感じだ。
おまけにあの当時と比べ気温が上昇している。
当時、今の様に暑ければヒッチハイクも考えなかったかも知れない。
年齢的な事かも知れないが・・・。
 
半月ほどの日程だったが何所に行ってもメチャクチャ暑いとは感じなかった。
松本、上高地、飛騨、日本海、福井、京都、大阪、奈良、和歌山と高地、
山岳が多かった為だったかも知れない。街中はさすがに暑かったが。
 
旅に備え寝袋を買った、当時の寝袋は素材がフェザーでは無く化繊綿だった。
もちろん羽毛も有ったが高くて買えなかった。化繊の寝袋は大きく、嵩張った。
借りたキスリングの上に寝袋を乗せて旅をしていた。
 
一日、千円の予算だったので泊まりは駅、寺、友人の下宿とユースホステルだった。
ジュース一本買うのもズシリときたモノで簡単には買えない。
ユースホステルに泊まる場合はシーツは持参しなければならないのだ。
当時ユースホステルの宿泊費は650円だった。
ほとんど雑魚寝だったが・・・。
 
今でも有るのだろうか? あのユースホステル用の布団の間に付けるシーツは?
簡単に言うとサラシ綿で出来た寝袋だ。
この所為でユース側はシーツを洗濯しなくて済むのだ。
 
最大の贅沢であるユースに泊まると朝夕の食事の出費はしなくて済む。
しかし昼代は掛かる。お昼は200円位で済ませただろうか?
それにヒッチハイクをしてると喉が渇く。
ジュースも買わなければならないので直ぐ千円を超える。
 
寺など滅多に泊めてもらえない。
貧者や宿のない者に施しをするのが本来、寺の役目ではないのか。
 
駅の待合室は良く利用した。誰の許可も必要としなかった。
当時は終電が終わっても駅から閉め出されると言う事は無かったが
駅は結構ウルサイから眠れないものだ。