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山男

友人のT氏は酒が飲めない。どんな旨い酒を出しても少し舐めるだけで後は一切口にしない。
酒が全く飲めないのだ。見た目は酒豪の様に見えるのであるが。
ガッチリしていて彫りが深く外見は俳優のリノ・バンチュラのような容姿である。
わたすが掛けていた欧風のサングラスを彼が掛けると彼の方が似合っていた。
 
昔はよく一緒に山に登った。ある山小屋に泊まった際、他の客が部屋に戻ったあと
山小屋のオヤジは食堂に残っていた我々二人と話し出して酒まで振るまい始めた。
一升瓶で湯飲みにトクトクと注いだ。
その時は山小屋のオヤジも結構、酔いが回っていた。
T氏は最初は断ったが折角のオヤジの薦めを断ると悪いと思ってか注がれた酒を手にした。
誰が見ても姿形からT氏は酒が飲めると思ってしまうのだ。
 
私は酒を少しずつ飲み始めていたが果たしてT氏が手にした酒をどうするのか彼の様子を見ていた。
暫く躊躇していたT氏だが意を決したのか、手にしていた湯飲みを一気に飲み干した。まるで水を飲むように。
驚いたのはこっちだ。一滴も酒の飲めないTが茶碗の酒を煽ったからだ。初めて見る光景だった。

再び注ごうとしたオヤジの一升瓶をT氏は制し、それまでにした。
「男だなあ」とつくづくと思った。
その後、直ぐ顔が染まってきたので部屋に戻って直ぐ眠りについた。

 実直な奴だが世の中をすいすい泳ぎ渡る事が出来ない不器用な人間だった。
岩登りで2度も滑落し、2度とも一ヵ月半入院してその度、リストラにあっている。
最初の事故は私も絡んでいた。 
 
彼は夜でも酒よりコーヒーや紅茶の方が良いような人間なのだ。
ある山小屋で二人とも眠れない夜、山小屋の外の腰掛けで湯を沸かして満点の星を見ながら紅茶を入れて飲んだ事がある。
我が人生でもあんなに輝く星空は見た事が無いほどの星空だった。
宇宙の星々が一気に地球に落ちてきそうな気がした。
しかし夜中に紅茶など飲むと朝まで一睡も出来なかったのは言うまでもない。
 
そのT氏とは15年ほど会っていない。それ程、遠くにいる訳ではないから
「何時でも会えるさ」と思っているうちに月日が経ってしまう物である。