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渾身の一作 4

 スタジオで商品に合わせたイメージ撮影用にセット作りをしなくてはならない。大道具屋さんにも指示を出さなければならない。彼ら大工は指示をチャンと出せば仕事は早い。撮影が終われば直ぐバラして次のセットを組む。全てモデル絡みだ。一日、4セットが限界だった。
 
 私も初めて経験する事が多かった。しかし、おくびにも素人ヅラは出きない。「この世界で実力、経験とも十分なんだ」という態度を取らなければ誰も動かないし、進まない。スタッフを10名以上雇っているのだ、棟梁が部下に「どうしたら良いかね」などと聞けるわけがないのと同じだ。
 クライアント2〜3名、カメラスタッフ数名、モデル3名、モデル会社の通訳一人。大工2〜3名、スタイリスト1人、メイク1人 etc. のいる前でカメラの前に立って自信たっぷりに指示を出さなくてはならないのだ。
 自信たっぷりで迷いなく指示を出すと誰も口を挟ま無くなる。みーんな「そうゆーモノか」と納得する。
 
 ディレクター、デザイナーの仕事以外に色んな雑用が入る。クライアントの一人が名古屋から助っ人として応援に来ていたが、夜の9時過ぎてその人が東京の宿を決めていなくて「何所に泊まれるだろうか」と相談にも来る。そんな相談などに乗ってられないのだが気がつくと電話帳で宿を探している自分がいた。もう躰中、電流が走りまくっていて瞬時に決定しなくてはならない事が多く、躰が反応してしまったのだ。
 
 私は歯車の一部では力が出せない人間だが、頭になり自由にやらせると爆発する事が出来る。アドリブが得意なのだ。乗ってくるとドンドン乗ってくるし、つられて周りも乗ってくる。
 ハイになっている時の方がEー仕事が出来るのは間違い無い。普段は無口で通しているのだが・・・。
 
 その会社でもそれほど大がかりなスタジオ撮影は経験した事はなかった筈だが会社としての積み重ねが大きかった。プロデュース力、コーディネーション力、コネクション、ネットワーク、外注先などである。いわゆる組織力である。私もそれらに随分助けられたと思う。一人では絶対に成り立たない仕事だった。
 
 その2〜3年ほど前、以前の会社でサエない物を作って酷く落ち込んだ経験が有る。やはり完成させる事で手一杯でクオリティーがオザナリになっていたのである。
 表紙の色校正を見た中堅スポーツ用品会社の社長が「普通やネー」と感想を述べたのだった。デザイナーにとって最悪の評価なのだ。

 スポーツ用品会社の社長は色々、有名メーカーのカタログに目を通していたのだ。
 明らかに私の経験不足、力不足だった。有名メーカーの作品も研究していなかった私は「この程度で良いだろう」と自分を甘やかせていた。評価が辛かったが現実だった。どんな場合でも「時間が無かった」というのは言い訳に過ぎない。
 
 その反省を踏まえ、その時は最初から気合いを入れていた。モデルは外人にした。今回は絶対に失敗はしたくなかったので男女メインのモデルは意見を主張して外人にしたのだ。30年ほど前の日本人モデルはパッとしないのだ ─── 今でもそうだが・・・。
 外人モデルはポーズを指示すると実に巧くポーズを自分のモノにする。後は「リンダ、スマイル」「マイク、ノンスマイル」としか指示しなかった気がする。
 
 日本人モデルの場合は人にも依るがポーズを付けても中々格好が付かない場合が多い。当時、無名であった リポD渡辺裕之氏をモデルに使ったが彼は結構出来たし、スタッフの受けが好かった。だから今でも仕事がつづくのだろう。
 なりより助かったのは彼は英会話が出来た事だ。通訳が帰った後、外人モデルに指示をする際、ボランティアで通訳をお願いした。ナイスガイだった。
 
 しかし彼も出番が終わり通訳が完全にいなくなった時、つくづく英会話を勉強して来なかった自分が情けなくなった。
つづく