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旅のはじまり

 初めて旅に出たのは19才の夏休みだった。
少年の頃、白黒テレビにNHK天気予報のバックに上高地の景色が流れているのを見た。それを見た時、いつかはその風景を生で見てみたいと思い「上高地」と言う地名を記憶した。
 
 それから何年か経った19才の8月に東京から帰省する際、ヒッチハイクを始めた。まだ見たことのない上高地日本海が目的だった。
 大宮まで電車で行き、そこから国道17号線に出てヒッチをはじめた。
 
 最初に止まってくれた車はアメ車だった。フォードマーキュリーというクルマで運転していたのはヤクザ屋さんだったのを今でも覚えている。確か軽井沢に行くと言っていた。その車に軽井沢の近くまで乗っけてもらった。ヒッチではその距離は結構、長距離だったから儲けモノだったのである。
 
 その日は上田の駅舎の待合室に泊まり翌日、上高地に入った。
 上高地は人、人、人でウンザリだった。むかしテレビで見た光景は人っ子一人いなかったのに・・。早々に上高地を切り上げた。当時はマイカーで上高地に入れる時代だったからすごい渋滞だった。
 そこから飛騨を通り日本海を目指した。日本海を見たら感激するだろうと思っていたが別にドーって事ない。太平洋も日本海も同じ「海」なのだ。
そこから海沿いを西に下り京都あたりまで何日かヒッチをした。
 
 その後、大阪の友達の所に泊めてもらおうと大阪を目指した。天王寺駅前あたりを歩いているとヤクザ風の男とぶつかった。そのヤクザ風はぶつかった時、その男が持っていたサングラスを落として「壊れた」と言いがかりをつけてきた。そのサングラスは見事にレンズにヒビが入り割れていた。
 
 私はその時、横に幅広のキスリングザックを背負って歩いていたのだ。今はキスリングなどは消滅した。「俺のせいじゃ無い、お前の不注意だ」と30分ほどモメた。19の時だから「怖い物無し」だった。途中からヤクザのお仲間も一人、出てきた。結局500円札 一枚くれてやった記憶がある。当時500円玉は無かった。
 今考えると「当たり屋」だったのかもしれない。あんなにレンズが放射状に割れないだろうと今になると思える。あと1時間ほどモメればオマワリが出てきて彼らは退散したかも知れない。
 
 その後、友達の下宿に行ったが留守で、しばらくスナックで時間を潰した。そこのスナックは当時としては珍しいカラオケが置いており、ヤクザとおぼしき人間がマイクを握っていた。超ヘタな歌を2時間以上、仕方なく聴いていた。友達の下宿の入り口に「ここのスナックで待っている」と張り紙をしてきたためである。
 旅のはじまりの1ページ目はヤクザ屋との絡みが多い旅だった。
 
 ヒッチハイクは気ままな旅の様に見えるが予定通りに進まないし、思惑通りに行かない。中々クルマも停まってくれない。
 その最初の旅を終えた時 「世の中、ドーにか成るモンだわ」という妙に “根拠の無い自身” が出きて今に至っている。