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利尻島

 北海道利尻島の宿で随分前になるが面白い人と出会った。その日はキャンプ泊する予定だったが、あまりに疲れてテントを張る気にも成らなかったのである。その日、キャンプ地から利尻富士に登ったが、朝からガスで周りが全く見えず上に行くほどガスって来た。頂上に立っても無駄だと思い9合目で引き返したのであった。下りてからバイクで利尻島を一周し、午後5時前には下から見上げる利尻冨士は雲一つ無く晴れ上がり見事な容姿を見せていた。登る時間帯を間違ったと思ったが午後から登山を始める予定は組めない。
 
 テントを張る気力もなくフェリー乗り場近くの宿に泊まったが、その日は4〜5組の泊まり客がいた。食事は大広間で皆、一緒だった。セルシオで来ていた老夫婦と若い名古屋からの旅人と初老の男性一人と、私だと記憶している。
 皆アルコールも入り、全く知らない同士なのに打ち解けた。セルシオで来ていた老人は「俺の職業、なんだか分かるか?」と聞き出した。「結構、色んな処に顔が利く」と云うような事を喋っていたので、みんなが面白がって色んな職業を言ったが、どれもこれも当たらない。わたすも総会屋だとか右翼の総代だとか言ったが首を横に振る。結局、その老人は最後まで職業を明かさなかった。大柄だが温厚そうな顔をしていて脳梗塞で一寸障害が残っており杖をついていた。奥さんがセルシオを運転し旅行しているのである。
 
 宴会もお開きになり最後に各部屋に戻る時に、一人旅の初老の男がその障害のある老人に悟られ無いよう我々だけに分かるように頬に指をさして斜め下に指を下ろした。あいつは「ヤクザ」だと言う事をジェスチャーで示したのである。それを見た我々はみんな納得したのである。おそらく老人はそっちの関係の人であったのであろう。
 翌日、甘露水を汲みに利尻山登り口に行った時、そのヤクザであったろう老人も車を降りて奥さんの後を杖をつき歩いてきたので「道中ご無事で 良い旅を」と言い、別れを告げた。
 
 その後、一人旅の初老の男と利尻から稚内行きのフェリーで一緒になった。昨晩夕食の時「明日 網走の知り合いの所に寄る予定だが、どの方法で行ったら好いのか思案している」と言っていた。「飛行機で札幌まで行って女満別空港に行くか」とか言っていたので「免許があるなら稚内でレンタカーを借りてそのまま網走で乗り捨てるのが良いのではないか」と提案すると彼はそのようにした。
 私も層雲峡を目指していたので網走方面までしばらく一緒だったが2輪と4輪の速度は違いすぎる。途中何度か寄り道をした時、道の駅で偶然会ったがその後、会う事はなかった。フェリーで1時間半ぐらい一緒だったので何故一人旅をしているのか、何故利尻へ来たのかなど色々聞きたい事があったが人それぞれだ。そんな無粋な質問をしてはいけないのである。
 名前すら聞く事もない旅先の触れ合いであるが、いつまでも想い出に残る。