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「お迎え」

 祖母が生きていた頃、祖母が病気で倒れると周りの者や往診に来た先生にいつも「お迎えが来たようじゃな」と床の上で割あい平安な顔をして話していたのを想い出す。「お迎えが来る」という意味は子供心にも解かっていたので目が潤んだ。でも「お迎えが来たようじゃ」は何度も聞かされたが本当の「お迎え」が来たのは何年も経ってからの事だった。
 「宗教」を信じるという事は必ず訪れる「死」についても怖れずに生きていられる・・と言う事を祖母を見ていて子供心に思ったものだ。祖母は「極楽浄土」というものを信じていたし死に対しても不安は全く無かったと思う。お経を読み、寺の法話にもよく出かけていた。「殺生をするな」が口癖で子供の頃、捕まえたトンボや蝶など虫たちはその日のうちに逃がされた。祖母は極楽に行くために生きていた様な人であった。そういう人だったから多少の災害などではうろたえる事は一切無かった。
 子供の頃、第2室戸台風というのが来た。私の経験する台風の中で最大だし観測史上最強だと思う。当時、祖母は足が弱っていてほとんど歩けなく風雨が強まった夜、消防団か警察か忘れたが避難を勧めに来た。父は「足の悪い母親がいるので避難は出来ない」と断り、その人達は帰った。すると祖母が「わしはもうええから皆で逃げろ」と言ったが勿論そんな事出来る分けがない。その時、祖母は真に家族を想い発した言葉だったし死の恐怖など微塵も感じられなかった。まさに宗教は偉大なり。無神論者のわたすはこのような心境に成る事が出来るのだろうか・・?
 その後、家では「第2室戸台風」と壮烈な戦いが始まったのだが・・・夏までに書こう。

ベランダのサクランボの木が満開に。毎年サクランボが10個ほどつく。
季節はいつも人間が思うより先にやって来る。