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気力体力が

一気に落ちてきた。あんなに機敏に動けたのに・・・。

気にはしていたがブログを放ったらかしにして10日ほど経つ。

ボケが一段と深まる。

やろうと思う事を忘れる。寒くなる前にやっておこうとした事が思い出せない。

周囲も心配している。自分自身一番気になる。あなたの親父さんより早いと

妻に言われた。

仕事も見つからない。見つけようとしているのだが・・・。

バイクも小型のにしたいし自転車も電動アシストにしたいが資金が無い。

 

キッチンマットを洗おうと夏頃から思っているがやる気にはならない。

相当体力がいるから新しいのに買い替えればE―のだが気に入ったのが無い。

 

もはや一人旅は無理かもしれない。もう一度行きたい所も思いつかない。

相当やばいな・・・これは。

体力が無くなるとと気力も無くなる。昔、山行で分かった。

希望が出てくれば体力も回復する。沢登りで藪こぎをしていた時に感じた。

上に行けば必ず尾根道に出ると分かっていても体力が無く水もなくなると

一歩が出ない。昔、書いた。

40代の頃、歳取って退職したらワンボックスカー買って行きたいところに

キャンピング道具を載せてまわろうかと考えていたのが・・・

どうにかせんといかん。

 

 

 

 

 

 

 

インフル予防接種

物忘れが段々酷くなる。自転車で行っていた内科医の場所がどっちなのか一年振りに

行こうとすると豊洲のどっち方面だったか途中で忘れてしまった。

ま、途中で思い出したが・・・そんな事が頻繁にある。

インフルエンザ予防接種の予防接種を打ちに行ったのだ。

この歳だから殆どのインフルに掛かっているのでインフルの注射など

受けてこなかった。だが近頃抵抗力が落ちているので打ちに行った。

肺炎球菌予防接種の予約もしてきた。随分弱気になったものだ。

体力が落ちると気力も落ちる。

気力が落ちると言うより「ボケ」が進行してきただけなのだが・・・

注射の後に小さなばんそこうを貼ってくれたがそれを貼ったまま風呂に入って

今、気づいて剥がした。

今年はコロナワクチン4回受けインフルエンザも受け肺炎球菌も予約だ。

抵抗力が落ちたのが分かる。階段を上り下りしないので体力も落ちる。

エレベーターを半分だけにして後は歩いて上がろうと思っているが、

直ぐ忘れてエレベーターで家の階のボタンを押してしまう。

ま、階段歩きは10年前の大震災の時、エレベータが止まって10階まで

一回だけ歩いたが随分閉口した物だ。

  

 

 

サウナ

我が家のマンションの風呂はバスに湯がたまるまで40分ほど掛かる。

沖縄のホテルは水量が半端なく3〜4分で溜まるので直ぐに風呂に入れた。

しかし家族はみんなスパに行く。

わたすはサウナは苦手なので一度も行かなかった。

おまけに高い。スパは一人2000円くらいなのだが泊まりの人は少し安くなる。

泡風呂は結構良いのなのだが・・・結局、風呂に入る時間は酔っ払っているので

行かなかった。他の家族は皆んなサウナ好きだ。

わたすは しょっ中、汗をかくので汗は嫌いなのだ。

夏場、買い物に行って返って来ただけでも汗ビッショリでシャワーで汗を流す。

この季節はそういう事もなくなった。

 

昔の会社の割と近くに区営プールがあったので時々泳ぎに行ったがそのついでに

サウナに入った。一緒に行った同僚{土井ちゃん}は泳ぎには興味がなく

サウナ目的でプールに付いて来たのだ。

 

 

NHK放送

NHKは朝から夜までニュース以外はほとんど再放送なのに視聴料金は変わらない

視聴料金は半額以下にするぐらいが妥当なのだが変わらない。

BSの映画やドキュメンタリーは殆どが再放送かヨーロッパあたりから買った物だ。

ナノにどうして料金が下がらないのだろう。

国民はどうして怒らないのだ。不払い運動も起らない。不思議な国民だ。

 

「薄す味にしてくれ」

沖縄料理は最初の一日で十分だった。特別美味しいとは思わない。

最初の夜、沖縄料理を食べたが次の日から困ったものだ。

別にマズイと言うわけではないが・・・

羽田に帰った時、もう家で作って食べる気はしなかったので羽田で

もやしラーメンを食べた。

それしか無かったが「薄す味にしてくれ」といつも言うが「スープの味は既に

決まっているのでそれは出来ない」と言われる。何処の店でもだが。

ではお湯を持ってきてくれと言うと一番最初にお湯を器に入れて持ってきた。

普通ラーメンと一緒に来るだろう。

まあそんな事を言う客はは滅多に無いので仕方ないが・・・。

 

蕎麦屋に行くと必ず蕎麦湯をもらう。温かいそばでも蕎麦湯を入れる。

それほど薄味なのだ。関西育ちのわたすはとびきり薄味主義者だ。

普通は歳と共に濃い口になるらしいが私は逆だ。

滅多にうどんを注文しないが蕎麦屋でうどんを頼む時は蕎麦湯を一緒に貰う。

最初からうどんに蕎麦湯を入れるのだ。お湯は茹で汁でも構わないのだが。

説明するのが面倒なので蕎麦湯を頼む。面倒なのである・・・私がだが。

 

ウォータースライダー

ホテルのプールにウォータースライダーが付いていたので初めてやってみた。

家族みんながやったのでこんな機会は無いと思ってやってみた。

すぐ乗り方が分かって滑り出したが最後にプールに落ちる時、鼻から水が入ってきた。

次回やる時は無いかも知れないが落ちる瞬間鼻をつまもう。

 

わたすは足首まであるロングスパッツの上に25年ほど使っている海パンに

上半身は化繊の長袖シャツと完全日焼け対策をしているがそれでも焼ける。

海パンを履くのも15年振りくらいかと思ったが娘の結婚式に4年ほど前、

ハワイに行った時に履いたが海水が冷たく結局泳がなかった。

 

今回ビーチパラソルを砂浜ではなく上の方にある大きな木の下の芝の上の

パラソルを借りた。木ノ下は完全に直射日光を避けてくれる。

しかし、かなり高く8000円も掛かったが。高すぎるよ何もかも。

海の家で食べたカレーライスは1200円ほどだった。

 

しかし一流のビーチもマリンジェットが入ってくれば三流のビーチになる。

ウルサイだけだあれは。一応分けてはいるが音がウルサイ。

ワイキキビーチのようにマリンジェットは一切シャットアウトにすればE―のにと

いつも思う。

 

沖縄旅行

12日から17日まで石垣島と沖縄に行く予定だったが台風12号直撃のため

石垣島のホテルから電話が有り、ホテルでは食料品が調達できなくて

ご宿泊をキャンセルさせて頂きますと連絡があったらしい。

当然飛行機が飛べないので14日の沖縄からに変更だ。

スケジュール管理や予約はすべて子供たちが行っている。

帰りは予定と同じの17日だ。

 

沖縄は遠い。行けなかった石垣島はそれより遠い。海外と同じだ。

帰りも台風14合が近づきハラハラさせられた。飛行機は台風の雲の上を飛ぶ。

帰りの17日は那覇国際通りで一時的なスコールにあったが、

殆ど凌ぐ事が出来た。何度かスコールに会ったが殆ど車の中だった。

 

しかし一行は老人と2歳の赤ん坊を含め7人だ。老人は私を含め3人だが・・・

妻を老人と呼ぶのは少々無理があるが・・・

最長老はわたすになる。わたすは迷惑を掛けなかったが婿の父は

プールで転んで膝を擦りむき手当を受けたり海の波打ち際で転び半ビショ濡れ

になった。オレより若いのに運動不足だなあ。

 

老いては子に従えと言われるが全くその通りだ。バーコードを子供から

送られて来てそのバーコードを荷物カウンタや登場カウンターにかざす。

こっちは航空券で入った事しか無い。

時代がいつの間にやら、わたすには着いて行けなくなった。

3年前のハワイ旅行も一人では無理だと思った。

子供らはしょっちゅう海外旅行に出るから慣れたものだ。

  

 

 

台風予報

来週から沖縄へ家族旅行を決めていたが丁度台風が直撃しそうな予報だ。

ほとほと付きが無いとしか言いようがない。5月に予定していた我が郷への旅行も

義母の入院で私以外は断念した。早割で予約していたためキャンセル料が異常に

高く「惜しい」と思いわたす一人で行ったが義母が亡くなり葬式に間に合うよう

東京に舞戻った。

 

今回は相手がお天気なのでどうしょうもない。

一週間前も沖縄方面に台風が来たので2週連続はないと思っていたのだが・・・

様々な理由と娘らの都合で来週に決めていたのだが中止に成るかも知れない。

キャンセル料が気になる。まあこの年だから沖縄はさほど魅力は感じないのだが。

年寄りが行く所ではあるまい。

昔、沖縄本島に出張が有ったとき金曜日にさっさと仕事を終えて土日を自由時間に

して海水浴に行った。以来、出張は金曜日と決めていた。

会社を辞めてから出張は無く成った。

 

古いMACが壊れてしまい大変に成った。新しいMACにデータの移行が完全に

終わっていない古いMACに今年の喪中葉書と年賀状を入れていたが、新マック

にはアプリケーションが入ってない。今は買取では無くリースなので編集ソフト

が無い。昔のは一度アプリを買えばいつまでも使えるのだ。

 

一週間前までは古いMACもかろうじて起ちあがっていたがもう起動もできない。

PDFを作っておけば良かったのだが悔やむ。急に動かなくなったのだ。

グラフィックのソフトを1ヶ月か2ヶ月リースするしかない。

今は何をするにも金が掛かる。

無料の葉書ABも住所録も飛んでしまった「後悔先に立たず」である。

 

 

古いパソコンが壊れた

15年位使っているパソコンが完全に壊れた。

今年の春ごろ新しいマックを買った。古いのがいつ壊れてもおかしくなく

インターネットも出来なくなったからだ。

古いマックが動かなくなりアップルに問い合わせても

「そんなに長く使っているのですか?」と言われた。

色々やってみたと説明して返ってきたのは「もうヤリようがないです」

と言われた。「ではこれをやってみて」と言われて「もうやった」と応えると

それでは「これをやってみて」と言われ「それもやってみた」と言ったからだ。

古いアップルのパソコンにはアプリのインデザインフォトショップ

イラストレーターも入っていて新しいパソコンには入れていない。

 

昔は買取制だったので一度、払えば永久に使えるがパソコン自体が起動しなくなり

お釈迦に成った。せめてデータをパソコンが動いている時にPDFを取っておくべき

だった。

もう諦めるしか無い。15年も有難うだろう。

新しいパソコンのアプリはすべてリース制だ。月々支払う程余裕など無い。

インデザインフォトショップはどうしても必要だ。仕事は入って来ないが・・・

今は仕事が無くても今年は喪中はがきと年賀状を作らねばならない。

これは最低限11月と12月で済む。

後はPDFを作っておけば良い。しかしPDF作成も有料になった。

やたら金の掛かる時代に成ったものだ。

最初に買ったパソコンはPower Mac7500だったと記憶する1996年だった。

その時にイラストレーターで描いたイラストに1996とある。

次は15年ほど前に買ったiMacレパードでそれも動かなくなり外付けの

ハードディスクにOSを入れて使っていた。そのハードディスクも壊れて

すべてお終いになった。8月に古い方のパソコンに喪中はがきと来年の年賀状を

作っておいたがPDFを取り忘れてしまった。

歳をとると何をするにも厄介になる。新しいiMacは今の所、調子が良いが

グラフィック方面がアプリが無いので使えない。

全て収入が無い所為だろう。

 

 

 

 

 

 

サングラス

妻の兄がコロナに掛かってしまい、もう既に治っているが。

妻の姉夫婦も掛かってしまった。既に治っているが・・・

一昨日はうちの次女も掛かってしまった。

熱が40度以上出たらしいが医者に行っても特効薬もないので解熱剤と何かの薬を

処方されたらしい。とっくに独立しているから我が身に感染る心配は無いのだが。

次女はよく飲み歩くので一番掛かる可能性があった。

 

こっちはスーパーに買い物に行くだけだが妻は営業職なので人と会う機会も多い。

妻のほうが心配だ。

今日、散歩で、ららぽーと豊洲まで早足で歩くと汗びっしょりになり

館内の冷房で冷やしていると一気に震えがきた。

館内は低く温度設定しているのだろう。

汗が吹き出さなければ寒すぎるとは感じ無かったはずだが・・・

 

ららぽーとで靴下と下着を買った。妻はサングラスを安いのと高いのを買った。

オレはサングラスを何個も持っているので今回は我慢した。

9月に旅行の予定だ。

3年程前にサングラスを2個も買ったのだ。レイバンのサングラスを拭いていて

シンナーで拭いたら一気にレンズが溶剤に侵され台無しになった。

救いようが無いので同じサングラスと別のレンズの色が薄いのを買ったのだ。

そのクレジット支払いが後々に響いた。

 

 

もう8.8だ

一週間ブログがと滞ってしまった。

書こう書こうと思っていた内容を忘れてしまうのだ。

老化はオソロシイ、こんな筈ではなかったのに・・・

今日、何が有ったのかも忘れてしまう。何もなかったが。

外へ出たのはライフに夕食の素材を買いに行ったのだけだが・・・

塩鮭ともう一つ買ったのだが思い脱せない。

ま、しょうがないE―歳こいてかなりボケが始まった。

今日は塩鮭と目玉焼きと野菜だけで済まそう。でも冷蔵庫を見ると

結構な食材と昨日のおかずが残っている。

 

女房は一品のオカズでは満足できないのである。

納豆でもやるか。納豆は期限切れから20日程経たないと旨くない。

この辺で夕食の準備・・・ 

 

 

8月1日

50年前の8月1日。二十歳に成る前になんか記念に残ることをやろうと考えていた。

まだ日本海も見ていなかったし上高地にも行ったことが無かった。

少年の頃、テレビの天気予報でバックに上高地が流れていた。

「この場所に一度行ってみたいなあ」と漠然と思った。

そこで東京から上高地を経て日本海に寄り大阪の友人宅に寄って故郷の南紀まで

ヒッチハイクで廻る事にした。出発は切りよく8月1日としたのだ。

一日1000円でやりくりして10日で1万円を持って登山ザックに荷物を詰め込んだ。

以前書いたからもう再度書くのもなあ・・・。

わたすの「どうにかなるさ」の出発点であった。

8月1日というのはわたすに取って記念日なのだ。

しかしよくこんな暑い日を選んだものだ。